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維新150年鹿児島の旅二日目 知覧の武家屋敷に薩摩藩の実力を見た 18.11.02 12:02

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知覧にある武家屋敷を散策。
その見事さに薩摩藩の実力を見た。










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77万石と言われる薩摩藩は、
文政の検知では90万国に迫っていた
と言われ石高は百万石の加賀藩
についで第二位なのだが、
遠隔地で幕府の目が届かないことをいいことに、
加賀藩のように幕府に遠慮することなく
内政を行っていた。




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そんな薩摩藩は総人口に対する
武士の比率が非常に高く、
幕末の比率で26%を超えていたそう。
(日本の平均は10%程度だたらしい)
藩は領内を区分けし
武士を分散居住させ、
一国一城令で廃城になった城の代わりに
軍事拠点を作り
各地域を効率的に支配し
外城と呼んでいた。
そんな外城の一つが
薩摩半島の知覧に残っている。




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1Km以上に渡る
整然と並んだ武家屋敷は壮観で、
薩摩の小京都と言われている。
小京都だけれども武家屋敷。
独特の生け垣、
低いが立派な石垣。
並んだ武家屋敷は決して一列ではなく
そこかしこに曲がりが設けられ、
ただ美しいだけではない
一本筋が通った軍事施設であることを
今も強く意識させられる。





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こんな町並みがかつては
薩摩国のいたるところにできていて、
いざというときには
効率的に機能するように
なっていたってところが凄い。
江戸時代、
太平の世をダラダラと謳歌していた
わけではないところが
明治維新へとつながっていくのだけれども、
そんな薩摩藩も
イギリス軍にはコテンパン。
旧態然とした中での意識の高さでは
文明を超えることは
できなかったわけです。




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何が凄いって
この武家屋敷の何件かは
今も普通に人が暮らしている
ところがあること。
何件かは一般公開されていて
室内を見ることもできる
文化施設だというのに。
しかし、コンビニもなければ
スーパーもない
結構暮らしにくいと思うけれども?
路地路地の風景、
堅牢な石垣を見ていると
南国に来てるなぁってことを
実感させられる。
文化は小京都というよりも
小石垣島、小琉球なのです。




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そんなのどかな知覧の街も
時代み世界大戦の世になると
とんでもないことに
巻き込まれてしまうのです。
詳しい話はまた、次回に。




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あ、途中の売店で食べたかき氷・・・
うまかったなぁ!





知覧の武家屋敷はこのあたり





by SnapTiger | 2018-12-13 18:00 | 毎日のこと | Comments(0)