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春に誘われ伊豆散歩 温泉の修善寺 源氏の墓ふたつ 19.02.23 12:06

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頼朝が清盛によって流されたころ、
北条の領地であった伊豆の修善寺。
ここには、鎌倉時代、
源氏の武将が二人
流された末暗殺された地でもあります。







 平治の乱で一敗地にまみれた源義家は東国に落ちる途中尾張国で謀殺されてしまいます。
 源氏の棟梁は当時としても子沢山で最も若年の牛若丸こと源義経は子供の頃九郎だったということは、育つのに苦労をしたということとは別に男子だけで九人も子供がいたということ。平治の乱で命を落としたり処刑された長男次男。三男が後の将軍頼朝で平清盛が継母・池禅尼の嘆願を聞き入れたためか、清盛が後に手篭めとした義家の妻であった常盤御前に良い顔したかったためか、刑を免じて伊豆に流配。頼朝を生かしたのだからということで、以降6人の男子もすべて配流または出家ということで平治の乱は幕を閉じた。清盛のヤッチマッタの始まりで、この判断が後々、死後平氏にとんでもない不幸を招くとは、当然当時は思ってもいなかったわけです。そうそう、この頼朝の兄弟には女子もいて、坊門姫(本名不詳)は後に一条能保の室となり、後の鎌倉幕府4代将軍九条頼経は坊門姫の曾孫だったという話。源氏の血筋が絶えた後の鎌倉幕府の将軍には京都から公家を呼び寄せましたという単純な話ではないわけです。



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 で、最初に修善寺に流されたのが義朝の六男源範頼。頼朝の弟にして義経の兄。みんな腹違いだけど。
 京都で狼藉の限りを尽くした従兄弟の源義仲追討の将軍となり、以後平家追討、九州征伐と活躍した人物だが、富士山麓の鷹狩で曽我兄弟の敵討ちの際、頼朝の行方が不明と成った折、兄嫁政子に「後にはそれがしが控えておりまする」といってしまったのが運の尽き。無事であった頼朝に謀反を疑われての修善寺流し。修禅寺に幽閉の後暗殺の憂き目。
 伝説では、暗殺は逃げて越前に落ちたとか、埼玉の吉見観音に隠れ住んだとか、埼玉の岩戸に逃れて石戸蒲ザクラを植えたとか諸説あり。諸説はあっても修禅寺の奥、山の中腹あたりに墓がある。
 暗殺された頼朝の兄弟にしては立派な墓石で、何もないこんなところまで結構な人が訪れているのは人徳なのか?義経とは違い頼朝の命令に忠実な実務者としては立派な人物だったらしい・・・は、全て又聞きの上の話ですが。




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 そしてもう一箇所。源氏の墓は修禅寺から川を超えた対岸にあります。
 墓の主は鎌倉二代将軍源頼家。墓は源氏公園として整備されていて頼家関連の施設が保存されています。
 鎌倉の八幡宮の参道の段葛は北条政子が彼を妊娠したときの祝の整備だというから、今の鎌倉にも大きな影響を与えている。
 父頼朝の落馬による急死により将軍就任後、乳母の比企一族を徴用したため北条一族と対立。結果、比企一族は滅亡の憂き目にあい頼家は修禅寺に幽閉。以後鎌倉幕府は北条一族が実権を握ることとなる。一族のために実の息子を幽閉してしまう政子の鬼っぷりが半端ありませんが頼家には頼朝ほどバランス感覚がなかったということなのだろう。京都の建仁寺を建てるなど短い人生で文化への貢献は大きかったのに。



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 修善寺に幽閉された頼家は、翌年北条氏の手により入浴中に襲撃されてTHE END。彼の四男が弟の三代将軍を殺害する公卿。因果は回るです。
 源範頼の墓に比べてさすが征夷大将軍だっただけあり頼家の墓は華やかです。いや、墓石自体は質素なものだけれども、周辺の整備具合がきちんとしています。墓の脇には母政子が冥福を祈って立てたと言われる指月殿が。殺しといて冥福を祈るって・・・ねぇ。でも指月殿はなんだかんだ行って伊豆最古の木造建築なのだそう。普通の建物なんだけど。そして、頼家の仇を打とうと兵を挙げる前に露見してやはり殺されてしまった十三士の墓も。修善寺でおとなしく暮らしていればよかったものを、そうも行かなかったのだろうか?そもそもここは北条の領地だし。



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 源氏の二人が幽閉された修禅寺。温泉街で羨ましいとは今の話で当時はどんな感じだったのだろう?陸の孤島で外出もままならなかったのか?伊豆は全て山の中。確かに押し込めて見張るにはちょうどいい場所だとは言えるけれども。
 結果、昭和、平成の世になって修善寺の観光の目玉となっているっていうのも不思議な話です。







by SnapTiger | 2019-03-17 05:19 | 毎日のこと